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ミカエル・ジャン氏、カナダ初の黒人総督に [総督]


 9月27日、ミカエル・ジャン氏が第27代総督に就任した。就任式はオタワの連邦議会上院で行われ、カナダ各地のミュージシャンらが史上初の黒人総督の就任を祝い、パフォーマンスを披露した。
 48歳のジャン新総督は、戦後では2番目の若さで、史上3人目の女性総督になる。彼女はハイチからの難民で、ケベック育ちのキャスターである。

カナダ総督の任期は通常5年で、その任務は
①首相を指名する
②首相の助言に基づき議会の召集・停止・解散を行う
③首相の助言に基づき上院議員を任命する
④内閣の助言に基づき最高裁判所判事を任命する
⑤国会で可決した法案に勅裁を与える
である。

 歴代総督はほとんどが政治家出身である。The Duke of Connaught, The Earl of Athloneの2名は王族である。
 総督は元来国王の代理なのではじめはイギリス人が就任し、1952年からはカナダ人が就任するようになった。イギリス系とフランス系が交互に就任するのが慣例になっていたが、前職のエイドリアン・クラークソンは香港生まれで、イギリスないしカナダ生まれでない最初の総督である。

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コメント 4

高橋幸二

法案が国会両院で可決すると、勅裁(Royal Assent)に付される。総督は理論上は3つの選択肢を有している。
(1) 裁可を与える(法案を成立させる)
(2) 裁可を差し控える(法案を拒否する)
(3) 国王の裁可があるまで法案を保留する(国王の判断を仰ぐ)
総督が裁可を与えない場合、国王は2年以内に法案を却下することが憲法上可能である。しかしながら、慣例として勅裁はいかなる場合にも与えられ、可決した法案が却下されることはない。
by 高橋幸二 (2007-12-02 21:12) 

高橋幸二

2005年7月に同性結婚法案が連邦議会で可決されると、この法案に反対する保守勢力は、国王エリザベス二世に陳情し、総督に法案を裁可しないよう命じてもらおうとした。だが憲法上国王と総督の任務は明記されており、そのような事態になっていたら「イギリスの内政干渉」だとの非難は必死であり、「同性結婚により伝統が破壊された」という主張とは比較にならないほどカナダ政治の伝統が破壊されていたことだろう。
by 高橋幸二 (2007-12-02 21:12) 

高橋幸二

 総督は、下院選挙で第一党となった党首(国会議員でなくてもよい)を首相に指名するのが慣例だが、過去に物議を醸したことがある。

 マッケンジー・キング首相率いる自由党は、1925年の選挙で定数245議席に対し保守党116・自由党101・進歩党25・諸派3と敗北するが、進歩党の閣外協力を得て政権を維持した。ところが汚職事件発覚により、進歩党が協力を解消したため少数政権となった。そこでキングはビング総督から解散の許可を得ようとするが、総督はわずか半年での再選挙を好まず、第一党の党首が首相になるべきだと考え、これを拒絶した。キング内閣は総辞職し、総督は保守党党首アーサー・ミーエンに組閣を命じたが、事前に総督がミーエンと会っていたことが明るみに出たため、イギリス人総督の政治介入として世論の強い批判を浴びる。組閣の3日後、ミーエン内閣信任案は95対96で否決され、ミーエン首相は下院を解散し総選挙に突入するが、保守党は惨敗し、ビングも総督を退任した。これを“Three Days Wonder”という。

 キングは総督の政治干渉・植民地主義を非難してプロパガンダ合戦に勝利したが、何人かの歴史家は、イギリス本国の許可を得るべきとするキングの主張を退け、自己の判断で解散を拒否したビングの判断を評価している。いずれにせよ汚職と世界恐慌で人気をなくしていたキング自由党にとって、この事件はこのうえない幸運であり、1926年の選挙で大勝利したキングは戦後まで、史上最長の政権を築くのである。余談だが、悪名高き日系人強制収容を行ったのはこのキング首相であり、この事件がなかったら歴史は変わっていた可能性がある。
 ビングはボーア戦争・第一次大戦の英雄だったが、この事件で晩節を汚した。

 またこの事件は、イギリスと自治領の関係について再考を促すことになり、同年のバルフォア宣言による自治領の自主外交権獲得へとつながっていく。
 1975年オーストラリアのジョン・カー総督がゴー・ホイットラム首相を解任した憲法危機の際にも、この事件は引き合いに出された。
by 高橋幸二 (2007-12-02 21:13) 

高橋幸二

 マルローニ首相はかつて、財政再建のため託児所などへの補助金を削減したが、ミラ・マルローニ夫人が「公務に専念するため首相官邸内に託児所を国費で設置して欲しい」と要求したため、「公職でもないのに何様だ」という強い非難を受けた。そのころマスコミでファーストレディ論争が巻き起こるが、その「ファーストレディは首相夫人ではなく総督夫人」という論旨は、ミラ夫人の態度がいかに顰蹙を買っていたかを物語っていると言えるだろう。
by 高橋幸二 (2007-12-02 21:13) 

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