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「独立の闘士」ジャック・パリゾー元首相死去 [ケベック]

 ジャック・パリゾー元首相が、6月1日に死去した。84歳だった。
 彼は1930年モントリオールに生まれ、モントリオール大学のビジネススクールHECモントリオール、パリ政治学院、ロンドン大学で学んだのち、地方公務員となり、ケベック年金プランの作成とハイドロ・ケベック社の国有化を推し進め、「静かな革命」の端緒となった。

 1976年ケベック党から州会議員に初当選し、レベック内閣の大蔵大臣に就任。1980年の独立を問う住民投票では、独立派の彼は中心的役割を演じたが、結果は否決に終わった。レベックはその後、独立問題を後回しにする政策に転じたため、パリゾーは1984年大臣と州会議員を辞任し、政界を去った。
 その後ピエール=マルク・ジョンソン党首が退任すると、パリゾーは1988年党首選に出馬し当選。1994年の州議会選挙で勝利し、ケベック州首相に就任した。
 彼は独立を問う住民投票実施を公約したが、レベックほど人々に親しまれていなかった。彼は委員会のリーダーシップを、壊死性筋膜炎で片脚を切断した闘志の人ルシエン・ブシャール党首(ケベック連合)に譲り、自らは裏方に徹した。
 しかし結果は、賛成49.6%・反対50.4%で惜しくも否決となった。国家元首の座をあと一歩のところで逃した彼は、思わず「金とエスニックのせいで負けた」と口走った。それは独立論争が全てのケベック州民のものではなく、フレンチ系住民のためのものだという隠れた本音が顕れた瞬間だった。彼は強いバッシングに晒され、首相と党首を翌日辞任、州会議員も翌年辞任し政界から引退した。

 引退してもなお、ハードコア独立派としての彼の影響力は衰えなかった。ポリーヌ・マロワ党首が独立を明確に訴えないので、彼はしばしばマロワ降ろしを画策した。マロワ首相がケベック価値憲章を上程したとき、彼は明確に反対を表明し、ケベック党員でありながら「国民の選択」党を公然と支持した。彼女は彼の教え子で、大蔵省でも彼の部下になっているが、そりが合わずに退職しており、かなり以前から不仲だと言われてきた。
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